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ソボロ(初代)助広

ソボロ(初代)助広は本名を津田助広といい、摂津国の一門です。摂津国とは現在の大阪府、兵庫県にまたがる位置にあります。二代目は津田越前守助広で、特に譲澗乱れで有名だそうです。

初代のソボロ助広は通称「弥兵衛尉」と言われています。「ソボロ」については諸説ありますが、真実ははっきりしていないそうです。服装に頓着せずいつもボロをまとっていたため、古鉄の沸かし技法の一種、摂津の「ソホロ小路」に住んでいたため、そぼろ髪(そほろは乱れ髪のことだともいう)だったためなどと言われています。

ソボロ助広は播州津田の数打ち師だそうです。水戸斉昭の供回りに「播州住藤原助広」と銘を打っている刀を持っている人がいました。神田祭のときに藩主の大名行列に無礼を働いたとして、町人十数人を斬りましたが、その際の斬れ味が物凄いものだったと言われています。

大阪に出て、初代河内守国助の門人になります。越前守を受領するのは晩年にあたります。

昨柄は反りが浅く、地金は小杢目、刃文は丁子刃、互いの目乱れなどを焼いたものだそうです。

慶長期以前に作られた言葉に対する言葉で「新刀」というものがあります。天明以後に作られた刀は「新々刀」と分けられることから、新刀期は1500年代後半~1700年代半ばに作陶されたものを指すようになりました。

ソボロ助広は大阪新刀の横綱と言われています。そのなかでも最上大業物という「最上大業物」「大業物」「良業物」「業物」と四段階に分けられた日本刀の分類の中で最上級とされるカテゴリーにいれられています。最上大業物は十四工しかなく、「初代助広」はそのなかのひとつになります。

本人のキャラクター性も相まって、ソボロ(初代)助広はなかなかに魅力的な人物だったのかもしれませんね。