南北朝時代から見られた刀剣の鑑定でもある阿弥号を等による本阿弥家の折り紙は、公式鑑定書として大きな意味を持つようになりはじめるようです。江戸時代をさかのぼる安土桃山時代の1588年、刀狩令を発令した豊臣秀吉は、武士以外の刀剣の所有を規制いたしました。それまでは誰もが所持していた刀剣を人びとから取り上げたことによって、江戸時代における日本刀の存在が、武士の精神をあらわす価値のあるものとして意味合いを高めていく流れがはじまります。江戸時代中期頃になると、武士たちは二本の刀剣を帯刀することになるようです。これまで使用されてきた「短刀」は「脇差」などに変化がみられるようになります。「太平の世」とされる江戸時代には、これらの刀が実戦で使われることは、ほぼなく日本刀のフォルムとしては比較的「反り」が少なく両手で扱う「打刀」が流行の最先端ということになります。
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