Uncategorized

信房作について

「信房作」を製作した信房は、平安後期から鎌倉期の古備前派の刀工で、後鳥羽院が召し出した二十四番鍛冶で九月番を務めた。古くより備前国は、吉井川流域で良質の砂鉄が産出された。国宝は「信房作」のみだが、天皇御物には「十万束」という名刀がある。

平安時代後期に作刀された「信房作」がどういった経緯で徳川家康の手に渡ったかは不明である。だが、徳川家康・織田信雄(織田信長の次男)連合軍対豊臣秀吉軍が尾張国小牧長久手において激突した天正12年の小牧長久手の戦いで著しい軍功を上げた徳川四天王の一人、酒井忠次に恩賞として徳川家康より与えられた。ちなみに、酒井忠次は、天正3年、長篠の戦いでの軍功で織田信長より「真光」が下賜されている。

「信房作」は、刀長二尺五寸一分、細身で腰反りが強く踏ん張りがある。鎬造、庵棟、鋒詰まり。鍛えは、小板目、地沸つき地斑交じり、所々に湯走りごころがあり、乱れ映え立つ。刃文は小乱れに足、葉がよく入って働きも賑やかである。茎は、朝廷儀式用刀剣によく見られる「雉子股」になっている。目釘孔のうえ、棟よりに「信房作」の三文字銘が入っている。

拵えの「糸巻太刀拵」も本刀と同様に国宝に指定されている。現在は、酒井忠次がかつて封じられた庄内藩(現在の山形県鶴岡市及び庄内地方)の中心地・鶴岡市の致道博物館の所蔵となっている。