本多忠刻は徳川四天王の一人である本多忠勝の孫になります。1614年から1615年の大坂冬の陣と夏の陣に父親と共に参戦して、夏の陣では敵将の首級を挙げる活躍をしました。本多忠刻は刀剣好きとしてもかなり有名な人物です。2代将 […]
Uncategorized
義元左文字と徳川家
江戸時代は、1603年から1863年に渡る長きのことつづいた現代の日本の基盤となった歴史とも言える年代です。「徳川時代」などとも呼ばれる江戸時代は、1603年に徳川家康が征夷大将軍を任せられることからはじまります。現代に […]
絵巻のなかの武士たち
平安時代に活躍した武士たちの役割をみていきましょう。朝廷や国に使える武士として知られているのは、近衛府、衛門府、兵衛府、検非違使などになります。彼らは主に宮殿の警備や都の治安を守る役割が与えられ都の武士などとも呼ばれたよ […]
「圧切長谷部」と織田信長を結ぶエピソード
織田信長が台所の膳棚の下に逃げ込んだ茶坊主を真っ二つに切ったとされる「圧切長谷部(へしきりはせべ)」。南北朝時代の刀工「国重」の作であるとされているようです。「圧切長谷部」に関する織田信長とのエピソードは、まさに織田信長 […]
不動行光と織田信長
「不動行光」は鎌倉時代弘安年間の製作といわれ、新藤五国光の弟子の藤三郎行光作といわれている短刀である。銘が「行光」とはなっているが刀工については、諸説あり定かではない。 長らく織田信長が愛刀としていた。織田信長がいかに「 […]
信房作について
「信房作」を製作した信房は、平安後期から鎌倉期の古備前派の刀工で、後鳥羽院が召し出した二十四番鍛冶で九月番を務めた。古くより備前国は、吉井川流域で良質の砂鉄が産出された。国宝は「信房作」のみだが、天皇御物には「十万束」と […]
日本刀と和包丁
和食が得意という方に出逢うことが年々、減っているような気もしておりますが、和食づくりに欠かすことができないのが「和包丁」でもあります。皆さんのご自宅の台所にはどのような包丁が置かれておりますか。 一言で包丁と言いましても […]
金剛兵衛盛高(別名源盛高)
金剛兵衛盛高(別名源盛高)は、鎌倉末期から室町末期に筑前国で活躍した刀匠集団である。初代金剛兵衛盛高が著名である。金剛兵衛とは属した流派の名称で、筑前国御笠郡宝満山(現在の太宰府市付近)の竈神社の山伏、または、宝満山天台 […]
不動国行について
大徳寺での織田信長の葬儀のさい、豊臣秀吉が「不動国行」を棒持し、豊臣秀吉の所有となった。天正11年、織田家宿老柴田勝家を賤ヶ岳で破った豊臣秀吉に対し徳川家康から名器「初花」の茶入れが贈られてきた。 その返礼品として「不動 […]
刀にまつわる歴史
南北朝時代から見られた刀剣の鑑定でもある阿弥号を等による本阿弥家の折り紙は、公式鑑定書として大きな意味を持つようになりはじめるようです。江戸時代をさかのぼる安土桃山時代の1588年、刀狩令を発令した豊臣秀吉は、武士以外の […]